新年を境に



妻のたくらみに夫はまんまとはめられて・・・
でも心の奥底ではそれを望んでいたという事なのでしょうか。







  私の妻と私は、20代前半のころからD / s関係を楽しみました。
  私たちは共にキャリアと生活その他多忙のため、パートタイムのライフス
タイルでした。
  私たちは可能な限り時間を作ってプレーしようとしました。1年の間にだい
たい4回、私たちは1 週間の間私が妻の奴隷になるという、長いセッション
を持ちました。
  彼女は、私が彼女の奴隷になる時間を本当に楽しみました。妻はしばし
ば私に、1年中フルタ イムでやれたらどんなにいいかということを言いまし
た。
 インターネットは私の妻をD / sについて新しい考えに対して開眼させまし
た。そして彼女は多く を学ぶほどに、もっと深く私たちのD/sライフスタイル
を深めることを望むようになりました。
  私は彼女のフルタイムの奴隷になるという考えには抵抗がありました。

  2001年7月に、私は年度末で退職するように会社で促されました。それ
は、以後の金銭的に不自由のない魅力的な条件でした。
 私の退職が決まると、妻はすぐに私が1日24時間/週7日奴隷になること
を望みました。
  私は彼女が働き続けるであろうことを知っていました。だから私は抵抗し
ました。
  私の妻は50代半ばで、そしてまだ若いです。
  そこで彼女は、セクシーな方法で、私にそれを試みるよう誘惑しました。
  私たちのD / sセッションはいつも楽しかったので、私はフルタイムの奴隷
になることは楽しい
だろうと確信しました。
  日時は定められました。

  2002年1月1日、私の人生が変わる日でした。
  私は彼女に質問をし続けました。しかし彼女は私に心配しないよう、そして
彼女がすべてうまく やると言い続けました。
  12月31日、私たちは着飾って、そしていくつかの大晦日パーティーを回
りました。
  真夜中に、妻は私に長いセクシーなキスをしました。彼女が
「最後のキスなのだから楽しむのよ。」
と言った時、私は驚きました。

  私たちはすぐに家に帰りました。
  彼女は私の札入れをとって、クレジットカードを私の運転免許証とともに細
かく刻みました。
  私は裸になって、そしてひざまずくことを命じられました。
  彼女は長い鎖をとって、そして私の左の足首の周りにそれをロックしまし
た。
  彼女は私の髪をつかんで、チェーンの端を引いて、そしてガレージの中に
私を引っ張って行き ました。そして決まった場所にあるバーにそれを固定し
ました。
  鎖を外すことは不可能でした。
  以前の私たちのプレイの時、ここに来ました。しかし、今回は全く逃げられ
ないよう固定されま した。
  私の顔に10回平手打ちを食らわされて、私は衝撃を受けました。
  私は怖くなりました。
  私の妻は、私が前に一度も見たことがないほど、断固とした真剣な顔をし
ていました。
  彼女は長い間、私にこれをすることを望んでいました。そして今彼女のファ
ンタジーは現実にな っていました。彼女の熱意と興奮をはっきりと感じまし
た。
  私は立つように言われました。そして、彼女が戻るまで、動かないよう言わ
れました。
  彼女は、これからされにいくつかのパーティーに行くつもりだと言いまし
た。しかし、これからは、「独身女性」として。
  ドアが開くまで、2、3時間たったと思います。
  彼女は今までにないくらいセクシーな姿で現れました。彼女は手に乗馬ム
チを持っていました。私はそれが私を打ちすえるためのものだということを
知っていました。
  彼女は以前のD / sプレイのどんなむち打ちよりも激しく私を打ちすえ始
めました。
  今回のそれはプレイではありませんでした。
  今回は本物でした。そして、私が心から慈悲を乞いながら泣くまで、彼女
は私を打ちすえまし
た。
  彼女は私をブレークしました。そして私はすぐに彼女の支配に屈服しまし
た。
  彼女はどこかに去り、そして1日中戻りませんでした。

  私が気がついた時、私のそばにはバケツ、トイレットペーパー、数本の水
と1ダースゆでられた ジャガイモがありました。
  私はしばらくの間これで生活していくことを知りました。
  私は鎖でつながれて、そして連続2週間毎日打ちすえられました。
  毎日私はシャワーとトイレの時間を許されました。
  これはきびしかったです、しかし私はとても従順で、そして彼女に従うこと
を切望しました。
 彼女は私をブレークし、彼女の夫から、彼女の奴隷へと私を変え続けまし
た。
  2週間がすぎた時、私にとって、彼女は妻ではなく、ミストレスでした。
  私は今までにと比べて同じぐらい強く彼女を愛しました、しかし同時に彼女
を恐れました。

  それは10カ月前でした。
  私は今掃除をして、料理して、洗濯物をして、アイロンをかけて、私のミスト
レスのメールに答えて、そして電子メールを送ります。
  私は毎日12〜18時間働きます。
  私が楽しいかって?
  はい!
  私は毎日訓練されて、そして、必要ならば、罰せられます。
  私は35ポンド体重を減らし、そして筋肉質になりました。

  私は次のシンプルな規則に従います:。
 1 - すぐにいうことをきく。
 2−自分の仕事をちゃんとやる
 3−ひざまずいて、目は伏せる
 4,答える時は「はい、マアム」または「いいえ、マアム」
 ※「マアム」( Ma'am)は、年長の女性に対して敬意を持って使う呼称らしい
 5−話しかけられた時だけ話す
 6−決してセックスを期待しない
 7−ご褒美にも罰にも決して不平を言わない
  私は今ただ敬意の印として彼女の足にキスすることだけを許されます。
  彼女が部屋に入ってくる時、あるいは出て行く時、私は働いていても、そ
れをやめてひざまずかなければなりません。
  彼女は近づいて、そして私がひれ伏した頭の前に彼女の足を置くかもしれ
ません。これは彼女の足にキスするシグナルです。
  ときどき、私がとても一生懸命働いたとき、彼女は私の頭にキスするかも
しれません。
  私たちはもう「親密」ではありません。
  私のミストレスはしばしば外出します。そして時々私は何週間も彼女に会
いません。
  私は彼女がデートして、そして誰かとセックスをしているのは間違いないと
確信しています。
  私はそれについて問うことはしません。私とは関係のないことです。
  私がそれについてきいたら、彼女の規則の1つに反することになるでしょ
う。私はひどい罰を受けるでしょう。
  ただ話しかけられたときだけ、私は本当に話をしようとします。
  私は週末、1人で過ごすこともよくあります。もし私がいい態度で過ごして
いた週は、私はコンピュータを使い、TVを見て、そして散歩することができま
す。
  私のすべての仕事が完全にできているなら、私はこれを許されます。
  1 日24時間/週7日(奴隷の)生活を望む人たち、それは大変な仕事で
す。
  あなたがその生活に入ったら、もう逃げることはできません。
  私は金、クレジットカード、自動車を持っていません。そして極めて少しし
か衣類を持っていません。
  私の髪は、必要な時、私のミストレスによって切られます。
  このライフスタイルは厳しくて、フラストレーションがたまり、ときどき、つらく
なります。しかし私は今の生活が好きです。
  私は多くの男性たちがただ夢見ているような生活を実現しています。
  私は本当に美しい女性の奴隷です。
  私の妻はこのように私を愛してくれます。そして私は彼女を喜ばせること
が好きです。




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